1.坊主バーの歴史

大阪市平野区にある浄土真宗大谷派のご住職が、お寺の中で「聞思洞」というワークショップを行っておられました。
これは、何人かの門徒(檀家)がお寺に集まり、お酒を飲みながら、一人の人が自分のことだけを15分間話すというものです。
残りのメンバーは、それをひたすら聞きます。これを全員がやります。
あるとき、この中のメンバーが、このワークショップをとても気に入り、毎日やってほしいと望みました
それじゃあ、バーにしようということで、1992年2月、大阪千日前に坊主バーとしてオープンしたのが坊主バーのはじまりです。
その後、東京四谷荒木町、東京中野にもそれぞれ2号店、3号店として個性的な僧侶がバーテンダーとなりオープンしました。
大阪の坊主バーは、アメリカ村への移転、千日前への再度移転などを経て、残念ながら現在閉店しています。
しかし、2012年に天神橋筋六丁目に再オープンしました。

2.坊主BAR京都

オーナーの羽田 高秀は浄土真宗本願寺派の僧侶(坊主)です。
また、小さなコンピュータシステム開発会社 チャクラネット株式会社の経営者でもあります。
また、京都しばふ工房株式会社という会社で、芝生の植え付けやメンテナンスもやっています。
数年前から京都で坊主BARを開店したいと思いながら、様々な勉強や調査をしつつ、機が熟した感がありますので、
2010年11月初旬に京都の「本能寺の変」の碑石がたっている場所の近くにオープンすることになります。
mixiではニックネーム「はにー☆」として日記を書いています。
Facebookでは本名「羽田 高秀」で出ています。
東京四谷 坊主BAR、東京中野 坊主BARにも何度か伺い、ご指導いただいております。

3.坊主BARグループ

東京四谷 坊主BAR(新宿荒木町)
東京中野 坊主BAR(JR中野駅徒歩10分ぐらい)
大阪坊主バー(天神橋筋六丁目) 平成24年9月8日(土)オープン

4.本能寺について

京都坊主BARのすぐ近くに「本能寺跡記」の碑が立っています
織田信長が関係する有名な「本能寺の変」があった場所です
その碑には以下の文章が記載されています

応永二十二年(1415年)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を
弘通せんがため、油小路高辻と五条亡門の間に一寺を建立して
「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(1429)
小袖屋宗句の外護いより、町端に再建、次いで永享五年(1433)
如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移籍再建、
本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。
その後、天文五年(1536)天文法乱によって消失。天文十四年(1545)
第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此の地に移転、
壮大なる堂宇の再興を見た。然るに天正十年(1582)彼の「本能寺の変」
によって織田信長とともに炎上、天正十七年(1589)この地に再建せんとし、
上棟式の当日、豊臣秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜらる。
一山の大衆声を放って号涙すと。 因みに本能寺は度々火災に罹りたるをもって「ヒヒ」と重なるを忌み、
能の寺を特に「?(辺は同じでつくりが、去)」と書くのが慣わしである。

京都坊主BARの2021年4月のお休み

まん延防止時短要請につき、営業時間を変更しております。
2021年4月12日(月)~5月5日(水)
17時~20時(酒類提供は19時まで)
21年4月末日まで木曜日はお休みします。
日曜日が定休日です

通常時営業時間 18:00~24:00(23:30 L.O.)
     (住職お参りのため営業遅れることもあります)
定休日は日曜日です。祝前日などは営業します。
月一回月曜日は連休いただく場合がございます